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「ぼくらのよあけ」黒川智之監督×
「雨を告げる漂流団地」石田祐康監督対談インタビュー


この度、劇場アニメ『ぼくらのよあけ』の黒川智之監督が、同じく“団地”をテーマにしたオリジナルアニメ映画『雨を告げる漂流団地』の石田祐康監督と特別対談を実施いたしました!

お互いの作品を鑑賞した感想や対照的かつ印象的だった設定はもちろん、物語のテーマである”団地”が担っていた文化や生活について話し始めると止まらない、“団地”への熱い想いが詰まった対談インタビューとなりました!

――このたび『ぼくらのよあけ』『雨を告げる漂流団地』と、団地をテーマにしたアニメ映画が近い時期に公開されることになったわけですが、これまでお互いの作品を意識されていたということはあったのでしょうか?

黒川:作品としてもこっちは後発なので、むしろ石田さんはいかがでしたか?

石田::世に出たのはこちらが先ですが、(『ぼくらのよあけ』には原作があるため)むしろ作品としてはこちらの方が後発でしょうね。とにかく、こんなこともあるんだな…と本当に驚きでした。

ちょうど自分がプロダクション工程に入る少し前だった気がしますが、『ぼくらのよあけ』の原作の存在は知っていて読んだこともありました。なんでしたらそれ以前にも『ぼくらのよあけ』だけでなく、団地を舞台とする映画なんかはいろいろと観ていましたが、まさかこの漫画が同じタイミングで映画となって公開される、というのはもうまったくの驚きで。だけど作り手というのは、刺激あってのものだと思うので。改めて身を引き締めながら、自分たちがやれることをやろうとしただけですね。

――でも結果としてこういう形で、お互いにエールを送り合う形になったのは、とても素敵なことだなと思った次第ですが。

石田:それならばよかったです。こちらの映画を何なりと良き様に使ってください(笑)。

――改めて黒川監督はいかがですか?

黒川:そうですね。『ぼくらのよあけ』は原作漫画あってという形だったので。『雨を告げる漂流団地』を個人的に知ったのはNetflixさんの発表会だったと思います、最初はそれほど近い時期に公開されるとは思わなかったですね。意識をしたところで、人づてにシナリオが手に入れられるわけでもないですし、特に裏取り調査ができるわけでもない。

本当に情報としては一般の視聴者の方と同じぐらいの、予告とか、そういったメディアを通しての情報しかなかったので。そもそも意識しようにもできないというか。そういうこともあるんだなというくらいで。意識したかと言われれば、良くも悪くも意識はしなかったというか。面白いこともあるもんだなと思ったぐらいでしたね。


石田:それがすごくいいと思います。何目線だという話ですが、そんなに意識しても、ですよね。

――実際に完成した作品は?

黒川:僕は配信で拝見させていただきました。

石田:(恐縮した様子で)ああ、そうですか、ありがとうございます。

黒川:『ぼくらのよあけ』は、原作もアニメも、阿佐ヶ谷住宅という実在した団地がモデルなので、ほぼほぼそのまま再現しています。ただ僕も、監督をやるにあたって団地についていろいろと調べたんですけど、団地とひとくくりに言ってもやはりその場所によって、その団地によって特色があって。同じ団地って二つとないじゃないですか。本当にその場所によって建物の形も違っていますし、配置も当然違う。配置が違うということは当然そこで見える景色や団地の表情も全く違ってきますよね。

だから同じ団地をテーマにしても、アプローチが違うとここまで描き方が違うのかと。我々の方はどちらかというとSFというか、宇宙人やAIといった側の話で。『雨を告げる漂流団地』の方はどちらかというと、妖怪というか、妖精というか、そういう付喪神(つくもがみ)的な、日本古来のファンタジーというか、オカルトというか。そういう何か同じファンタジー路線だけど、団地ひとつでこんなに方向性の違うエンターテイメントができるんだなというのは、拝見させていただいてすごく新鮮で、面白かったです。この日本の団地文化というものが海外の人から見るとどう受け止められるんだろうというのは、なかなか興味があるところ。むしろ比べてもらって、評論というか、分析していただくと面白いかなと思います。

石田:その視点はすごくよくわかります。僕もほぼ同じ視点で『ぼくらのよあけ』を観させていただいたので。同じ団地といってもそのアプローチの仕方が違っていて、僕らはファンタジーですよね。そのファンタジーというのも、ある程度、日本に古くからある概念というか、恐らく日本人には馴染みのある感覚だろうというところで作ったものですが。ただ自分はどっちも好きです。前に作っていた『ペンギンハイウェイ』という作品があったんですけど、あれはもう完全にSFの方向で作っていたものですね。人間が今、科学的に分かっている領域を概ね下敷きにしながら、そこからどれだけ跳躍できるのか、というところで描いたものでした。

そういった考え方、作品への取り組み方というのはすごく好きなので。ですから『ぼくらのよあけ』を観たときにやっぱりすごくシンパシーを感じましたし、それが映画になってさらに跳躍されたっていう感覚もあって、そこはすごく楽しませていただきました。

ファンタジー+団地、SF+団地っていうところの科学反応がそれぞれの作品でどういう風に起こるのかというところと同時に、黒川監督がおっしゃられた団地文化が海外の方にどこまで伝わるものなのか、シンパシーを感じられるものなのかというのも気になります。

ただ、過去のソ連なんかで団地がよく作られていたという話は聞きますし、フランスなんかにもありますよね。だからそういった国ではどういう捉え方をしてくれるんだろう、と。でもやはり日本人としては、団地はもう否定しようのない原風景になっているので。そこが「ぼくらのよあけ」ではかなり跳躍するSFの舞台になるでしょうし、「雨を告げる漂流団地」ではかなり跳躍するファンタジーの舞台になる。あるひとつの棟を舞台に、方舟のような感覚で作品に取り込むという点。そこは『ぼくらのよあけ』でも感じましたね。やはりそういう視点になるんだなと。

――団地自体が生き物じゃないですけど、それこそ方舟みたいなものですね。

石田:そういうものになるんだっていうのはすごくシンパシーを感じました。ほとんど同時期に公開となったので余計に。     

――やはり日本人ってそういうの好きなんですかね。宇宙戦艦ヤマトとか、銀河鉄道999じゃないですけど。

黒川:まさに今、石田監督がおっしゃられていましたけど、まさしくどっちも団地が船ですよね。団地というものが出てくるというのは、要は戦後なわけで。戦前・戦中ってのは一軒家が多かった。だから団地って今ではノスタルジーのアイコンみたいになってますけど、当時としては最先端、水洗トイレが付いてますとか、ダストシュートがありますとか、風呂・トイレ別とか。しかも団地によっては商店街が近くにありますとか。団地の中に周回バスがありますとか、派出所がありますとかっていう。当時としてはあれってスマートシティなわけじゃないですか。

石田:そうですよね。まさに。

黒川:完全に独立した、そこだけの空間で生活ができますよっていう。そういうようなコンパクトなスマートシティの発想で。当時としては最先端のもので、そこにやっぱりいろんな人の思いであったりとか、生活だったりとか、そこに歴史が乗っかってくると。しかもそこがレイヤーとして縦に連なってるっていうので、それまで全然戦中にはなかったはず。しかも、赤の他人が自分の頭上数メートルに住んでいるみたいな。そのレイヤー構造って結構面白いというか。

なんかねそれが団地の棟の中でごった煮状態になってて。下のフロアでも子供がキャッキャ遊んでいて。上のフロアでは夫婦げんかしてるみたいな、なんかそういう世界なわけじゃないですか。本当に縮図というか。そういうのは日本人はなんでしょうね。やっぱりある種村社会が縦になったというか。

――長屋の横の構図でなく、縦の構図であると。

黒川:そこは日本人にはすごく馴染みやすい住居デザインだったんじゃないか。さっき石田さんがおっしゃったように、どちらかというと共産圏的なイメージが僕もあって。わりと画一的な、システマチックというか。全部同じっていう、そういうイメージもあるんですけど。日本人は割とそういうのを受け入れやすい土壌みたいなのがあったのかなというのはありますよね。

――石田監督もやはり団地を題材にされたということで、そういう団地への思いのようなものがあるんじゃないですか?

石田:そうですね。僕自身は過去に団地には住んだことがなかったんです。むしろ横、平屋の古い日本家屋に住んでいたので、縦の文化にあこがれがあったんです。基本的にはみんな間取りが一緒で、ある意味画一的で、そこでいろんな人たちの生活が繰り広げられている。

それだけで感じられる文化の違いというのが子供心にすごくあったんですよね。友達の家に遊びに行くと、そこでまずカルチャーショックを受けたんです。うちは平屋で二階なんかないのに、その子の家はマンションでまず見た目からデカい。縦に。そこから階段なりエレベーターなりで上がっていくだけでもワクワクするし、廊下をザーッと走っていくのもワクワクしたんです。そのときは純粋な子供心にちょっとジャングルジム的な感覚っていうか。ジャングルジムって上にも横にも立体的にいけるっていうところにワクワクできるじゃないですか。実際ああいうところでは、すごく迷惑ですけど鬼ごっことかもしてましたし。そういう憧れが潜在的にはあったんですよね。

東京に来てからはいろんな場所に引っ越しして転々としていたわけですが、その中でも団地という存在には非常に興味がありました。集合住宅としての象徴で元祖だな、と思えて。そんな意識の元、この『雨を告げる漂流団地』という企画のネタを思いついたんです。やはりこんな企画を考えたということもありつつ元からの興味も手伝って、いっそのこと団地に住んでみよう!と。それで今はちょうど3年目です。それが果たしてこの映画にどこまでの作用があったかはまだ咀嚼しきれてないですが、少なくとも気持ちが入りましたし、思いきって住んでみて良かったですね。

ただ確かに団地には、独特の縦のつながりみたいなのはあって。ああいうタイプの縦社会って面白いですよね。または別の視点で見ると、横だったらある程度、各部屋の前を誰もが普通に通るところ、縦って心理的になかなか行きづらい気がして。その当時の時代なりの方法である程度プライバシーを守っていたのかな、とか。そういうこともとりとめもなく感じながら作品を作っていました。

『ぼくらのよあけ』の映画を観て、階段を上り下りしてとか、主人公が階段をワーッとジャンプしてというのも、もし自分が子供時代に住んでたらやるよなぁと。上っていった先に屋上につながる蓋があって。そこを上がっていくところのカットなんかも主観視点で描かれていて、やっぱこれだなと。縦の最後のゴール地点へ入る瞬間をちゃんと描く。そこが大事で、ちゃんとワクワクする感じで作ってくれてるなあと思いましたね。

黒川:縦の構造物というところでいくと、『ぼくらのよあけ』で意識したのは、地表に立ってるときと、屋上に立っているときの、10歳の子供にとっての世界観の違いというか。地上に立ってるときは当然、日常の視点になっていくんですけど。屋上っていうのは非日常的な、本当にそれこそ『雨を告げる漂流団地』でも屋上というのがすごく象徴的に使われてましたけど。あそこって秘密基地じゃないですか。入っちゃいけないところはやっぱり子供は入りたがるし。

『雨を告げる漂流団地』だと屋上にテントが置いていたりしたじゃないですか。自分の好きなようにカスタマイズして自分のエリアにしたがる子供の冒険心みたいなところ。やはり屋上に上がるっていうのはちょっとした臨死体験じゃないけど、なんかそれちょっと現世と隠世が、あのちっちゃい穴を通して繋がってるという。

石田:ああ、なるほど。

黒川:やっぱり屋上というものが非日常的な視点になるわけじゃないすか。さっきの石田監督のお話でも、平屋に立ってると、言うて自分の身長の視点なんだけど、それが2階、3階に上がっていくと、ベランダから見る風景だったりがもう自分が全く見たことのない視点になる。それが非日常だし、そういうものが子ども心にワクワクするというか。見たことない世界という。それが屋上になるとなおさら、バーッと視界が広がって。いろんなものが全部目の視界の下に見えてくる。あの感覚は僕らが意識したところでしたね。『雨を告げる漂流団地』もそこは大事に表現されていたので、やっぱりそうだよなと。

石田:それはすごい分かりますね。そして上に上がったら大概誰かが落ちるっていう(笑)。これは描かざるを得ないだろうなという思いで描いていました。まさに穴というのは概念的に異界に通じると思うんです。屋上に上がってしまったら死と隣り合わせになるという感覚 。だけど本当はよい子は屋上に上がっちゃ駄目なんですよ。上がっちゃ駄目ですし、こういうことを描くからには……。

黒川:リスクをちゃんと描かないと。

石田:そう。リスクを描かないといけない。だからあんな目に会わせてる。変な話、ああいう住宅を管理してる側の団体や会社とは、こういうこと(屋上の危険さ)を描いている時点でコラボなどしちゃいけないんだろうなと(笑)。ちょっとごめんなさいと思いつつ…。だけどリスクというのもそうですし、そこにおける感覚を骨の髄までちゃんと描こうとすると、落ちる描写を描くことはやっぱり避けられなかった気がします。

――こんなに団地を愛してる作品なのにコラボが難しいってのもまた皮肉な話ですよね。

石田:いやまあ、それがしたいわけではないですから(笑)。基本は映画のことのみ考えてましたが、脇ではそういうところにごめんなさい、と思いつつ描いてました。

――これはやはり今の時代だからなのか、両作品とも、工事で閉鎖された団地が舞台で。まさに異空間みたいな感じになっていたわけですが。『ぼくらのよあけ』だと未来の万博のポスターが、割とサブリミナル的に結構出てきてて。なんか団地ってやっぱ高度成長の象徴ですよね。70年の大阪万博のイメージがなんとなくあるので、ノスタルジーと近未来の融合という感じがしたんですが。そういう意識はあったんですか?

黒川:そこは原作から引っ張ってきたところもあって、それこそまさに主人公・悠真の帽子にはコスモ星丸っていう、つくば万博のキャラクターがついていて。これは原作からそうなんで。そっから宇宙が好きとかってなってくると、いろいろそういうものに通っているんだろうなと思いつつ。2049年という時代設定にしたので、そうするともう1回ぐらい万博をやっているんじゃないかな、みたいなところで。だから当然、つくば万博の頃は悠真はいないので。悠真がおそらく行ったであろう万博のポスターが貼ってあるとか、そういうところから悠真の部屋のデザインを膨らましたところはありますね。

――石田監督が書かれた『雨を告げる漂流団地』に寄せたコメントで、失われつつあるものをもう1回見つめ直してもいいんじゃないかみたいな、ということをおっしゃっていましたが。

石田:そうですね。ある意味、対照的なところがあるのかもしれないですね。未来を志向するというよりは、過去を見るような視点は確かにあったかもしれない。だから作中の設定自体は紛れもなく現在で、それこそ2000年代以降、団地ができてから半世紀以上たって、有名だったいくつかの団地が取り壊され始めて以降の話ですね。まだ今もある程度それは続いてると思うんです。自分が住んでる団地なんかは年代がまた若干後ろだったものですから、取り壊しはまぬがれていたんですけど。ただ『雨を告げる漂流団地』で舞台にしたのは、東京の「ひばりが丘団地」っていう、わりと初期の頃にできた団地だったんですよね。照井啓太さんという、今回団地を監修していただいた非常に団地に詳しい方がいらっしゃるんですけど、その方にいろいろ聞いていった中で、ひばりヶ丘団地をモデルにしてみようと思いまして。     

ひばりが丘団地を題材にしたのも、すでに取り壊されてるからというところも理由にあって。10年程前に取り壊しというか建て替えがあって。そこであった歴史とか、そこで生まれた文化とか、そこで暮らしてた人たちがどうなったか。この作品で団地を描こうとする時には、どちらかというと過去のことをどういう風に受け取って、それこそ子どもたちがどう感じていたのか、というところが自然とメインにはなっていきましたね。

強いていえば、取り壊された団地のすぐそばに新しい高層棟が何個も建っていて、またここで新しい団地、新しい街が生まれているんだよというようなことは、自分が提示できる未来という意味で背景として描いています。それも現実のひばりが丘団地であった光景ですが。ただ壊すだけじゃなく、スクラップアンドビルドじゃないですけど、また新しい街ができていくんだなっていう。     
『ぼくらのよあけ』でも舞台にされていた阿佐ヶ谷住宅。あそこも取り壊しが、ひばりが丘団地と変わらないくらいですか?

黒川:そうですね。2010年代半ばとかだったと。

石田:いや、僕めちゃくちゃ見たかったんですよね。ひばりが丘団地も、阿佐ヶ谷住宅も。自分の映画のスタッフの子が2010年代の初期の頃に阿佐ヶ谷のスタジオを起点に働いてたことがあって、そのスタジオのすぐ近くに阿佐ヶ谷住宅があって。何か仕事に疲れたときは、緑がいっぱいあるので行ってくつろいでたっていうような話をよく聞いていたんですよ。写真も見せてもらったりしたことがあって。この素敵さはちょっと他にはないなと。有名な建築家の方(前川國男)が設計されたテラスハウスとかもあって。気持ちいい住棟配置で建てられているあの空間をすごく見たかったし、映画を見るとちゃんとあの通りに配置されていて。画面の奥にあのテラスハウスがちゃんと描かれていて、ますます見たかったな…と思って。それが素晴らしいです。

ただこちらの作品が違うのは、舞台が2049年なことですよね。それだけ時間がたってもまだ団地が現役というか、もしかしたらこれから順次取り壊されていくのかもみたいなところは確かにあったものの、そこを何か未来のツールだったり、子供たちが、未来を志向する形で一つのモチーフとして使っている光景はすごいなと。『雨を告げる漂流団地』とはそういう部分での違い、共通性とも言えるかもしれないけど、志向の仕方が違うなというのが見ていて面白かったですね。

――そういうディテールというのは、団地団の佐藤さんが脚本をやっているということも大きいのでは。

黒川:そうですね。佐藤さんは元々団地で幼少期を過ごされてたっていう話もありますし、佐藤さんづてに、こちらもこちらでまた団地に詳しい方をいろいろご紹介いただいて。いろいろな写真とか、いろいろな資料を提供していただきました。それこそ阿佐ヶ谷住宅に通って、その解体を記録として写真に収めていた方とかもいらっしゃいましたし。そういう写真を後からいっぱいご提供いただいたんですけど、これをどう使おうかと。それは業界あるあるなんですけど、写真資料っていっぱい集めるんですけど、それを使おうとすると、この写真はどこからどう見たアングルなのか分からないということがあるじゃないですか。

石田:すごくわかります(笑)。

黒川:いっぱいあるのはいいんだけど、使い勝手が悪いみたいな。わりと業界あるあるなんですけど、それをちゃんと整理しなきゃねっていうので、ゼロジーの制作さんに協力してもらって。僕もあまり詳しくないんで、システムのことは全然わかってないんですけど、阿佐ヶ谷住宅のなんちゃってGoogleマップを作ったんですよ。ピンを打って、こっからこう撮ったアングルがこの写真ですっていうのを作ってもらって、それで写真を管理してもらって。だいぶ分かりやすくなりました。

石田:すごい!

黒川:それこそ取材に行こうにも、阿佐ヶ谷住宅はもうないので。本当に今、写真を持ってらっしゃる方の資料だけが頼りだった。

石田:それはすごい。

黒川:こっからこう撮ったらこの写真の半分が見えますみたいな、全部整理して作っていって。

石田:『雨を告げる漂流団地』でも似たようなことをやったんですけど、そのやり方を知ってたら同じ方法をとってたなあ。Googleマップに写真を紐付けてみたいなやり方ということですよね。それいいですね。

黒川:僕も全然ね、どうやって作ったのか分からないんですけど、エクセルか何かなんかでやってくれました。実は幼少期に阿佐ヶ谷住宅に住んでた方がいて。取り壊されるというのを知って、愛着があるから週に1回ぐらい通ってずっと取り壊される様子を撮っていた方がいて。その方に、すいません、この写真はどこからどう見た写真ですかねと聞いて。これはここですねということをデジタルの地図上に全部落とし込んで。

石田:すごい。僕は基本は手描きでそれをやっていたんで、もしかしたら他人には共有しづらい形だったかも。Googleマップだったか、Googleアースだったかな?そこで     2010年前後の取り壊し間際のマップが開けるんですよ。それを上空からキャプチャーして、監修の照井さんが、当時撮ってまわってた写真を全部見比べていく。多分この写真はここだな、みたいな作業を、脳内でなんとなく空間を作ってカメラを配置して番号を振って、手作業で写真を貼っていって見取り図にする。大雑把でしたがそれを美術の方々に渡してやってましたね。

黒川:そう。監督1人わかっててもしょうがないんですよね(笑)。こっちはわかったつもりで話を進めちゃってても、あれ伝わってるかな? となることもありますからね。

石田:デジタルツールでパッと開いて出せる状態にしておくのは、共有性がすごく高いので、それを知ってれば…。Googleストリートビューは使われましたか?     

黒川:それもね、使いはしましたけど、やっぱりもうギリギリだから、2010年ぐらい。一番最初のデータで、まだその工事前の様子を見ることができるんですけど、それがやっぱ入れるところは外側くらいで。当時の中の様子まではそんなに詳細には。今ほど出せないので、なかなかかゆいところに手が届かない

石田:使う上で罠としてあったのが、建て替えたら場所の名前自体は変わってるじゃないですか。ひばりが丘団地の場合だったら、ひばりが丘パークヒルズと。昔の設計者が考えてた住棟配置みたいなものがまるっきり変わっちゃうもんですから、過去にあった団地内の小道がなくなってるっていうのも多々あったんですよね。

「雨を告げる漂流団地」でいうところの船として扱った112号棟を、ひばりが丘団地のマップのここに配置しよう、ここが一番いろんな景色とか、この子たちの生活の上では一番いいだろうと思ってまず決めたんですけど。でもGoogleストリートビューでさかのぼって最大2012年     まで遡って大体の場所は見れたものの、肝心のマップで決めた場所     には入れなかったんですよ!
そこでやっかいですけど面白かったのが、現在軸のストリートビューとGoogleマップの地図上では、今なくなってる道に見えないバリアみたいなものがあるわけです。その道の先     にはもう矢印がないので入れないんですけど、道の反対側のある一定の地点まで来ると、なぜか入れるという(笑)。バグなのかよく分からないですけど、ゲームの隠し抜け道のような場所があって。ギュッとクリックするとなんとか入れるんです。
そこで今まで諦めていた景色をようやく見ることができてホッと一息…すぐにキャプチャしました。そうやってギリギリ粘って描けた部分もあったんですよ。でも団地って阿佐ヶ谷住宅にせよ、ひばりが丘にせよ、ちょうどGoogleストリートビューが撮り始めた年代ぐらいに取り壊しになったというのもあるかもしれないですね。

黒川:団地好きな方は本当にいっぱいいらっしゃるので、

――住んでた人も多いですからね。

石田:阿佐ヶ谷住宅も本当に写真で見るだけでも素敵な場所だなと。さぞ気に入って撮っておられた方が他にもいたんでしょうね。

――写真集とかも出てるくらいですからね。

石田:出てますね。監修の照井さんという方も、やはり阿佐ヶ谷住宅の写真を撮ってて。自分のホームページとかで、やたら写真を載せていたんで。いやぁうらやましい(笑)。

――でもそれこそ団地団さんのTwitterで、雨を告げる漂流団地を見て、リサーチがすごいと。だからもう、これ以降の団地映画は大変なんじゃないのみたいなツイートを見つけたんですが。

石田:いやぁ、いろんな形でできますよ。実際に作られてますし。

――それこそ団地団の佐藤さんも刺激を受けてということで、これからの作品が楽しみですね。

黒川:それこそ団地が舞台で、しかも取り壊しが始まって、という。こんなにもかぶるのかというのはありますけど。

石田:本当に世間様の反応もちゃんとありましたね。そんなことがあるのかと驚いている人も。でもハリウッド映画でも『ディープインパクト』と『アルマゲドン』とかありましたからね。

黒川:そうですよね。隕石衝突物がかぶったりとか。まあこの業界は往々にしてあるある的な。

石田:子供心に僕も謎でした。あれが公開されたとき、まだ僕は小学校4、5年生とかそのぐらいでしたけど、どういうこと?という思いがありましたよね。

――でも結局そこでそういう映画が盛り上がるから決して悪いことじゃないですよね。

黒川:団地もね、さっきの取り壊しっていうのも、やっぱり当時から今にかけて、耐震強度の問題とかいろいろとね。そのまま使えないっていう問題もあったりとか、高齢化の問題、階段も3階、4階だと上れないよとかっていう、そういう現実的な問題でどうしても建て替えなきゃっていう風になってますよね。でも一部のところではリノベーションで中を新しく綺麗にして、若い層に、割と3人ぐらいの家族だったら結構住みやすかったりすると思うんで。そういうまたリノベーション、綺麗にしてリフォームして再利用っていうのは聞くので。

石田:まさに自分が今住んでる団地が、それができてたから選んだところもあったんですよ。照井さんに聞いたところ50年代の終わり頃から60年代の初期の頃にできた     団地と、1960年代の終わりの方にできた自分が住んでる神代団地のような団地とでは、基準にちょっとした違いがあるということで。ひばりが丘団地はそこが叶わずで取り壊しになったけど、神代団地は耐震的にもリノベすればまだいけるじゃんみたいな感じで。     

団地って鉄筋コンクリートの塊で、そのキューブ状の箱が段積みで、ギチギチになっているから、意外に耐震強度は強いらしくて。だから中をちゃんとリノベして、外壁もちゃんと塗り替えれば、意外にいけちゃうよということで。かなりリーズナブルですし、うちの団地はいろんなおしゃれなカフェを誘致したりとか、そういうので住民の半分以上は若い世代に変わっちゃったらしくて。そのあたりも照井さんがいろいろと魅力的に発信していたものですから。なんかいいなと思って。

黒川:そうですよね。僕は独身なんであれですけど、本当にちっちゃい子供がいる若い家族であれば、周りにいっぱい同世代の家族もいるし、割と敷地も広々としてるし、公園もあるし。まあ商店街はね、残ってるところと残ってないところいろいろありますけど、残ってるところだったら結構そこで、ちょっとしたお買い物だったら、日々のご飯を作ることならまかなえるし、と考えると、その機能性っていうのはすごく見直されているんじゃないかと思うんですよ。公園の存在ってなかなか、僕の住んでる近くにも団地がまだありまして。その前とかを通っているとやっぱり、休みの日とか晴れてると、子供がキャッキャと遊んでる声が聞こえるのって素敵だなって思います。なかなか今、公園も街中で探さないとなかったりしますし。

――あったとしても結構ね、近所の人からボール遊びをしないでとか、いろいろありますからね。

石田:ところによってはあるらしいですね。そもそも子供の声が駄目、みたいな。ちょっと不寛容な社会というのか、もったいないですよね。団地の公園はある程度、そういうものだと思ってもらいたいですね。     

黒川:遊具だって子供が使う前提ですからね。

石田:確かにそうですね。うちの団地の中に幼稚園と小学校があるんですけど、つい2日前ぐらいは幼稚園で運動会をやってて。もうどんちゃんどんちゃんやっていたんですけど、でもみんなもうそういうもんだと思ってますっていう感じで。関係なくやってましたし、今日も小学校でやっぱり多分運動会でどんちゃんやってて。

黒川:この時期はね(笑)。

石田:だけどここの団地住民の人たちはもう、そういうものだと思っているので。バランスなのかもしれないですけど、街にある程度の寛容さは 欲しいなと思ってしまいますよね。それでも自分の場合、昼まで寝たい!というときは耳栓で大体解決してます。運動会はさすがにですが(笑)日常の子供たちの声はそれで全然ですね。

――団地があると、盆踊りとかラジオ体操とか、そういうのはいっぱいありますからね。では、お互いに聞いてみたいことがありましたら、ぜひ。

石田:そうですね…。でも素直に気になるのは、監督業について。監督といえばコンテであったり、もしくはもっと広くとって演出家として何が一番大変に思うのかっていうのを聞きたいです。それの続け方ともいうか。

黒川:燃え尽き症候群ですか?

石田:(笑)。毎回そこそこにはあるんですが…今回は余計にあって。燃え尽き症候群というんですかね。だから続けるってすごいことだな、大変だなと思って。     

黒川:でも僕は本当に久々の監督作品で。10年以上、監督をやってなくて。その間にいろんな作品を演出して。携わらせていただいてて、この仕事をやってて面白いのは毎回違う、当然ながら作品が変わるわけじゃないですか。

石田:そうですね。

黒川:1回1回ピリオドを打って次っていう。そこの一期一会というか、作品の向き合い方が変わったりとか。今回はこうやって団地をテーマにした作品をやらせていただいて、この業界に入ってなければ、団地についてこんなに勉強することもないだろうなと。なんかそういう仕込みをやってる時期が意外と面白かったりして。

時代劇アニメに関わったときなどは、僕はもともと歴史が本当に駄目で。人の名前を覚えられなかったんですよ。誰が誰だって。みんな名字が一緒だし、みたいな。ただそれも仕事でやるとなると、いろいろと勉強して。この人とこの人はこちらの側で、なるほどねというような。なんかこの年になっていろいろと勉強する刺激みたいなところが楽しいですね。それと作品が完成する達成感じゃないですかね。

石田:そこはやっぱり楽しいところですよね。

黒川:必ず終わりが来るというか。良くも悪くも終わらせなきゃいけないというか。作り手としてはいつまでもやってたいけど、ちゃんとお客さんのいろんな評価を受けるというところですかね。

石田:はい。

黒川:何か作品についてのお話かと思ってたんですが(笑)。逆に石田監督って、劇場のアニメ作品ばかりじゃないですか。1クール中12本とか、テレビシリーズに対して興味とかってあるんですか? もうちょっと長いスパンで物語を語ってみたいとか。

石田:確かにありますね。何かしらの作品を次に作る機会があるならば、いろんな選択肢がある中で、長いスパンの物語を作る可能性はあり得るのかな、と。自分自身もいろんなアニメを見てきましたし、12話で完結するようなシリーズ物も好きでした。だからそれの良さっていうのはすごく分かりますし、そこでこそ得られる視点っていうのもきっとあると思うので。

劇場作品もそうですけど、短編作品もしばらくやってた時期もあったので。それと12話、1クールの作品って重点を置くところが全然違うと思うんですけども。短編においては     なるべく全部自分のコントロール下で、どれだけ濃ゆく、力強く、作れるかみたいなところで。何か話を作るっていうよりは、アニメーションそのものを楽しむ、みたいな視点でやっぱりやってた気がします。それが12話で1個の物語をやるとなれば、やっぱ少し俯瞰して、全部自分で手を出せるものではないので、いろんな人たちと協力して、力を合わせながら作っていく。

大げさに言うと一つの思想みたいなものかもしれないですけど、何か一つ筋を通して、ちゃんと道を示して、各話演出に振り分けて、スタッフに何を描いてもらうか、動いてもらうかみたいな。それは今の自分からすると、すごく勉強にはなるんだろうなと。

黒川:『雨を告げる漂流団地』みたいな話をテレビシリーズでね。

――できますよね。

黒川:観たいですよね。あれだけ魅力的なキャラクターがいるわけですから、それぞれひとりひとりのエピソードを丁寧にやろうとすれば、テレビシリーズも。全然、石田監督の視野の広さって、やっぱり劇場でギュッと凝縮された中でももちろんそうなんですけど、もう少しゆったりとした、ドラマを語る作品も、いちファンとして観たいというか。

石田:ありがとうございます…。

黒川:もちろんテレビシリーズにはテレビシリーズの苦労ってまた別のものが。マラソンみたいな長距離走みたいなあれがあると思うんですけど。やっぱりファンは絶対、『雨を告げる漂流団地』に限らず、もうちょっと長い、石田ワールドに浸っていたいという気持ちって、多分ファンならあるんじゃないかなと思うんですよね。

石田:それはもったいないお言葉でございます(笑)。ちょっと考えてみます。

――では最後に、自分の作品を紹介していただきつつ、このインタビューを読んでくださる方へ、メッセージを。

石田:こういう場で自分の作品の紹介と言われると難しいですね…。こちらの場合は現時点でもう世に出ていて、自分の中でもやっぱり振り返っているタイミングになってます。公開されてひと月近く経っているので。それで振り返ると、こうすれば良かったのかな、逆にここはこれで良かったのかな、とそれぞれの視点があって。『雨を告げる漂流団地』はかなり正直に作った映画です。辛いことも含めて感じていたことの描き方が正直そのままなので、そこから来る反省点はやっぱりあるんですよね…。
でも、一度こうやって正直に今自分ができる限りのこと、思う限りのことをあんまり控えずに形にしたというのは、少なくとも今後の一つの指標にはなるような予感はありますし、おぼつかないところも含めてこの正直さをそのうち好きに思えるようになる気もします。         
団地という舞台のパワーをお借りしつつ作った作品ですが、子供たちの姿を通してそういった正直な部分もこの映画で見てもらったらいいんじゃないかなと思います。団地というところですごくご縁のある『ぼくらのよあけ』という映画、団地という船に乗るファンタジーとSFというそれぞれのところで跳躍するこの2作品。ぜひ皆さんに一緒に観ていただけたら、同じ団地の友だちとしてうれしいです。

黒川:ありがとうございます。『ぼくらのよあけ』は公開がこれから。むしろこちら側としては『雨を告げる漂流団地』の波に便乗してるような形になっているんですけど。

石田:それは全然いいんです(笑)。

黒川:でもなんか本当にそういう不思議なご縁というか、不思議な流れで、むしろ最初に言ったように、妖怪的なファンタジー、日本古来の感じと、SFというところの、なんか団地を軸にした全くジャンルの違うアニメーションっていうのもまた面白いと思うので。むしろ見比べていただいきたいかなっていうか。団地をモチーフにこういうアプローチがあるのかっていうのは不思議なもので。やっぱり団地といえば家族、団地といえば子供っていうところで。

石田:そこもそうですね(笑)共通してますね。

黒川:全く同じでありつつ、こうもまた違うドラマができるのかっていうのは面白いと思うので。雨を告げる漂流団地を見ていただいた方にはもちろん『ぼくらのよあけ』を観ていただきたいですし、あっちがどうだ、こっちがどうだというような感想も全然ウェルカムかなと思います。今日はありがとうございます。

石田:こちらこそありがとうございます。